第9日目 マナグアの市内観光、そして帰国の途へ

Admin/ 1月 5, 2024/ 2023年年末ニカラグア

とうとう最終日。まずは、やり残したマナグア観光。

とうとう最終日。この日、朝の時間を使って2日目にできなかったマナグア観光を行うことになりました。

お客様のご要望もあり、お土産物屋や民芸品店が多くあるウエンベス市場に立ち寄りました。ウエンベス市場はマナグアにいくつかある市場の中でも最も治安のよい市場で、近郊の街へのバスの発着場ともなっているので、私もマナグア在住のころは良く立ち寄っていました。

ウエンベス市場(お客様ご提供)
ウエンベス市場(お客様ご提供)
ウエンベス市場(お客様ご提供)
ウエンベス市場(お客様ご提供)

ちなみに、マナグアにはそのほかにもいくつか市場があるのですが、その中でも一番有名なのが中米最大ともいわれるオリエンタル市場です。治安が良ければ観光地となるくらい大きな市場なのですが、いかんせん治安が悪く現地在住の協力隊ですら近づかないように、と言われているところなのです。

ティスカパ湖
ティスカパ湖とサンディーノの像

次に訪れたのは、市内を一望することができるティスカパ湖でした。

かつてここにはソモサ一族の大統領府がありました。アメリカの庇護のもと親子三代にわたる親米政権を樹立したソモサ一族は、まるで人々を見下ろすようにこの場所に宮殿を建てて、親子で計43年にもわたりこの国を支配していました。ニカラグアの国内総生産の約半分をソモサ一家の系列企業などで独占していたといわれていますが、1979年のサンディニスタ革命で倒されました。

いま、ここにグスト・セサル・サンディーノのシルエット像が市内を見下ろすように建てられています。ニカラグアはその近代史の中で常に、アメリカの庇護のもとに国民から搾取を続けた独裁者 vs 国民解放の左翼指導者 という構図が成り立っているのですが、左翼のシンボルとなっているのがサンディーノです。いわばニカラグアの「チェ・ゲバラ」といったような存在です。サンディーノは20世紀初頭の英雄ですが、そのイデオロギーは現在この国を治めているFSLN/サンディニスタ民族解放戦線へと引き継がれています。

最後に訪れたのは、かつてこの町の中心地だった旧カテドラルと国家宮殿でした。

1972年マナグアは大地震に見舞われ壊滅的な被害を受けるのですが、このカテドラルは倒壊を免れました。ただ崩壊の危険があるため今では史跡として残されています。なお、マナグア大地震では1万人以上のちかくの死者が出たといわれています。世界中から多くの支援が届いたのですが、当時の為政者であったソモサ一族はその支援を懐に収め私腹を肥やし続けたため、1978年のサンディニスタ革命へとつながっていきました。この革命の成否については、ぜひリンク先のwikipediaをお読みいただければと思います。

この国の近代史では、自由主義の名の下で腐敗に満ちた親米政権 と ナショナリズムの名の下で独裁色を強める左翼政権 が常に争いを続けてきたという歴史があり、国民は貧困を抜け出せないまま置いてきぼりにされ続けているのです。

マナグアの旧カテドラル
マナグアの旧カテドラル

そしてニカラグアにお別れ。メキシコ経由で帰国の途へ。

最後にこの国の歴史を垣間見た後、私たちは来た時同様にアエロメヒコ航空で経由地のメキシコシティへと旅立ちました。メキシコシティの長時間のトランジットではみなさんでレストランに入って夕食をお召し上がりいただいたのですが、その価格に驚いたかたも多かったのではないでしょうか?少なくとも私は、日本が貧しくなったことを悲しく実感してしまいました。

おわりに。

今回も皆様のご旅行のお手伝いをさせていただき、本当にありがとうございました。いろいろと至らぬ点も多くあったと思いますが、すくなくとも無事ツアーを終えることができたのは、ご参加いただいた皆様のご協力があってからにほかなりません。この場を借りて心から御礼申し上げます。

また、いつの日か皆様と旅をご一緒できる日が来ることを心待ちにしております。

この度は本当にありがとうございました。

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