第4日目 ネグロ火山のサンドボーディングと古都グラナダのカウントダウン

Admin/ 12月 31, 2023/ 2023年年末ニカラグア

ネグロ火山のサンドボーディング

2023年の最終日、私たちはちょっと面白いこの国ならではのアクティビティでスタートしました。

ニカラグアは日本と同じ火山の国。国土を北西から南東に貫くように火山帯が走り、50以上もの火山があります。その中で近年活発な活動を続ける火山は8つ数えられますが、その中でもセロ・ネグロ(黒い丘)と呼ばれる火山はボタ山のように黒い火山砂や火山弾が堆積した独特な山です。ほとんど木々が生えていないため遠くから見てもひときわ黒く、その山の名前の由来にもなっています(写真下、右手の山)。

セロ・ネグロ
右手に見える丘がセロ・ネグロ

ニカラグアの主な火山(wikipedia より)

そのセロ・ネグロを1時間かけて登り、木の板で一気に火山砂の斜面を滑り降りるサンドボーディングと呼ばれるアクティビティをこの山では楽しむことができます。ただ日が昇ると遮るものが何もないこの山はとても暑く、すぐに体力を消耗するため、このアクティビティに参加するには、朝一番でホテルを出発しなければなりません。そこで、朝一番にバスでセロネグロへと向かいました。

まずはセロネグロのビジターセンターに到着。入山手続きを済ませて駐車場到着すると、さあ、ここから自分で滑るための板をもって登山開始です。板を運びたくない人は地元の人にポーターにお願いすることもできました。

※お客様撮影の写真も含まれます。ご提供ありがとうございます。

view from cerro negro
セロネグロ山頂から眺めるニカラグアの火山群

ボードは本当に木の板!といった感じで結構な重さもあり、持って上るのはそれなりに至難の業です。しかも頂上付近は風が強いのでなおさらです。それでも山頂からの風景は絶景で、「火の国」ニカラグアの火山列を目の前に眺めることができました。また火口も雄大で、大地のちからを強く感じる場所でした。

頑張って山頂に到着すると、専用のスーツに身を包みゴーグルと手袋をして、いざ滑り口へ。ただ滑り口といってもゲートも何もなく、ただ前に滑った人の筋があるだけ。ガイドの指示を受けてその筋に沿って順番に降りていきます。

結構な急な下り坂に少し恐怖を感じたのも束の間。山の上部はなかなか滑りが悪くすぐ止まってしまうような状態。みなさん、まるで小さな子供がカートを漕ぐかのように足で前に進んでいましたね。でも途中からコツをつかむとふもと付近では結構なスピードになった人もいらっしゃったかと思います。そして、ものすごい土煙であまり前が見えない!でもあっという間で、1時間もかけて苦労して登ったのに、下りはわずか賞味15分程度でした。

さあ!ここから一気に滑り降りるぞ!
上から下を見下ろします
いざ!ボーディング!
結構な角度で滑り降ります

滑り終わってバスに戻ってみると、ほこりが顔や髪にべったりとついて大変なことになっていました。それでもここでしかできない体験を終えて、それなりにご満足いただけたのではないでしょうか。

ホテルのチェックアウト時刻があったので、急いでホテルに戻りました。各自部屋でシャワーを浴びてさっぱりしていただいてから、市内にある別のホテルのレストランにて昼食をお召し上がりいただきました。

もう一つの古都グラナダ

美しいパティオがあるホテルで昼食をお召し上がりいただいた後、レオンのローカルガイドとはお別れし、もう一つの古都グラナダへと移動しました。今回のツアーでは、通常の日本のツアー会社が好んで起用するスルーガイドを使わず、各地のローカルガイドを活用することでスルーガイドの滞在費用や食費などのコストを抑える工夫をしました。そのため、グラナダまでの道中には現地ガイドは無しでしたが、みなさま午前中のハードなアクティビティの後&昼食後だったので、お休みになられていました。

グラナダの街並み
夕焼けに照らされたグラナダの街並み

グラナダは、すでにご紹介したレオンと並ぶニカラグアの古都であることは前述のとおりです。レオン同様、スペイン人征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバによって1524年に設立されました。

かつてのレオンがマナグア湖のほとり近くに設立されたのに対し、グラナダは中米最大の湖ニカラグア湖のほとりに設立されました。ニカラグア湖はサン・ファン川を通じてカリブ海へと通じていることから、植民地時代から海賊の襲撃に何度もさらされていました。とくに1665年には私掠船の船長(=海賊)からジャマイカ総督にまで昇りつめたヘンリー・モーガンが街を襲撃し、グラナダの街は壊滅的な被害を受けました。

ヘンリー・モーガン
ヘンリー・モーガンの肖像画(1680年作)wikipediaより

彼は、全長190kmのサン・ファン川を一週間かけて遡上し、さらには ニカラグア湖を5日間かけて北上して、グラナダを3日間にわたり略奪しました。サン・ファン川には早瀬があるため、大きな船は入ることができず、カヌーで川を遡上したのでかさばる財宝はあまり持ち帰れませんでしたが、ジャマイカに戻ったモーガンは一躍有名になりました。彼は、のちにグラナダを次のように記しています。

グラナダは英国ポーツマスのように大きく見事な町である。7つの教会と一つの 大聖堂があり、数多くの学校、修道院がある

ニカラグア南部にあるサン・ファン川にはエル・カスティージョ要塞がありますが、その要塞が完成したのはその襲撃の10年後の1675年のことでした。

参考:https://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam7/select769.html

また、1856年にはアメリカ出身のフィリバスター(他国で非合法な軍事行為によって、革命、反乱、分離独立などをおこし、政治的、経済的な利益を得ようとする者)のウィリアム・ウォーカーによって敗走前に植民地時代の貴重な建物が、多く破壊されました。

このような歴史的経緯から、街自体の歴史は古くともそこにある建物は都度再建されていることもあり、ユネスコの世界遺産の候補リストには載っているものの、世界遺産には指定されていません。

とはいっても長年にわたり保守派の牙城であったため、その街並みの美しさは度重なる再建でも失われることなく、コロニアル様式の古都の雰囲気をしっかりと現代に伝えています。

ウィリアム・ウォーカー
ウィリアム・ウォーカー wikipediaより
メルセー教会
メルセー教会
メルセー教会の鐘塔
メルセー教会の鐘塔
グラナダのカテドラルとその奥に見えるニカラグア湖
グラナダのカテドラルとその奥に見えるニカラグア湖

グラナダ到着後、初日にマナグアで我々を迎えてくれたガイドのReneさんと合流。夕方の短い時間の間でしたが古都グラナダをすこし徒歩で観光しました。

ちょうど夕陽があたり街並みが美しく映えるマジックアワーの時間帯で、メルセー教会の屋上に案内をされて、この町の眺めを一望したほか、翌日訪れるモンバッチョ火山やマナグア湖なども見ることができました。

その後、ホテルへ向かいチェックイン。今日からの二泊は、ロケーションもよい中央公園の目の前にあるホテル プラサコロンでした。館内にはパティオが二つありきれいなプールもあるので、さっそく泳いでいる方もいらっしゃいましたね。

さて、忘れてはいけないのですが、この日は大みそか。夕食は私が協力隊時代、この国に住んでいたころからの大のお気に入りのレストラン サグアンでニカラグアが誇る牛をお召し上がりいただきました。もちろん年越しそばとして、事前にレストランに連絡して許可をもらって持ち込ませていただいたミニカップそばもお召し上がりいただきました。

夕食後、いったんホテルへと戻り、夜10時くらいからカウントダウンを楽しむために夜の街へと繰り出しました。グラナダの人々は、もともと夕刻になると玄関先に椅子を出してきて夕涼みを楽しむ風習があり、屋外に椅子やテーブルを並べて夜を楽しむことはごく一般的です。カテドラルの横の路地はまさにそのようなレストランが軒を連ねており、その一つの席に皆で座り、新年を迎えることにしました。

ただ、さすがラテンの国だけあって、カウントダウンも拍子抜けするくらいいい加減、というかお店の人を含めてあまり誰もカウントダウンはしていませんでした。0時が近づくにつれて、あちらこちらで徐々に花火が上がり始めるのですが、フライングしているものも結構あって、地元の人は、なんとなく周りの雰囲気から新年が明けたのを知って、なんとなく祝うといった感じでした。

私たちも何杯か飲んで雰囲気を堪能した後、ホテルへと戻りました。

Share this Post